新聞を読む自由
その朝は、どういうわけかゆっくり新聞を読む時間があり――、と冒頭のシーンで綴られるのは、沢木耕太郎の短編『ミッシング〈行方不明〉』でした(新潮文庫版『彼らの流儀』に収録)。パキスタンで行方不明になった日本人青年についての話ですが、そのストーリーの組み立てにいたく感心して、いまでもお気に入りの作品のひとつになっています。
いや、実はこれを引き合いに出したのは物語の主題とはまったく関係なくて、「沢木耕太郎ほどになるとフリーでやっていても新聞を読む暇が『その日たまたま』という程度なのか」という、どうでもいい感慨によっています。筆者(高橋)がフリーランスになって何よりも嬉しかったのが、毎朝ゆっくり食事をとり朝刊の隅々まで目を通せることだったからです。
だって、これが真っ当な会社だったら、朝、出勤して席に着くなりおもむろに新聞を広げるなど、平社員の分際に許されないでしょう? 一般にそういうことをしていいのは社長以下役員と、マドギワとの境界線があいまいな部長席のとぼけたオジサンくらい(笑)。少なくとも筆者がかつていた会社はそうでした。



